令和と昭和

令和と昭和こんにちは。 管理部Sです^_^ 今日はちょっとめんどくさい話をしようと思いますので良ければお付き合いください。

私の息子は平成ど真ん中に産まれ思春期を令和に生きております。

それはそれは便利なものに囲まれ、
家に居ながら友達と遊べることも、
ネットを通して擬似体験することも、
誰かと出会い誰かと別れることも、
とてもとても簡単に出来てしまいます。

こんな世の中の事を、なんだかちょっと怖いなぁと息子がまだ幼い頃は心配に思っていました。
結果としては、半々ですかね。
良い事もあれば悪い事もある、
そりゃそうですよね。
今、息子を見て思う事は 「思っていたより普通に生活してる」
です。

嬉しい・楽しい・悲しい・ツラい。
世代や生き方が違っても、それは同じなんです。度合いが違うだけで。
なぜ度合いが違うのか?
それはきっと「無駄」があるか無いか。
会えない時間の無駄な過ごし方、
何かを調べる時の無駄な労力、
待ち合わせに来ない相手への心配、
予定変更の伝え方、
何かをしたいと思った時、したい事が出来ない時、想いを伝えたい時、サヨナラしたい時、
無駄とわかってて出来るか出来ないか、
無駄かも知れないがやるのかやらないのか、
こんな事言ってると息子に
「それが無駄でしょ」 と言われそうですが、無駄かも知れない事が私にはとても必要なんです。
自分の心との折り合いをつける時に、自分を納得させる為の理由として、辛い時こそ無駄な経験が必要なんです。
エンジニアさん達に怒られても、携帯電話の機能は「通話」「メール」「辞書」「地図」 これだけで良いです。好きそうな情報を次々と予測してくれる賢さは要らないです。「この先は自分で調べてね」とAIさんに言ってもらえれば、めんどくさがりな息子も仕方なく自力で考えるでしょう。

自分のした事は無駄なのか努力なのか、捉え方は自分次第。
着地点はありませんが長い独り言にお付き合いくださりありがとうございました~